K.N(合格校:明治大学附属中野八王子中学校)

 我が家では、茅ヶ崎国語塾に、現在中学2年の次女が9か月間、小学6年の長男が2年間、中学受験でお世話になりました。
 我が家は横浜市青葉区にあり、毎週土曜日に、茅ヶ崎まで1時間30分かけて通っていました。
 なぜ、青葉区から茅ヶ崎市の国語塾にと思われることでしょう。
 次女が受験に挑戦するため地元の塾に通っていましたが、集中力もなく、やせっぽっちで体力もなく、当然、学力もまだまだでした。ちょうど悪いことは重なるもので、娘は反抗期のはしりを迎えたところで、学校でも今まで通っていた塾でも、先生に言われることを素直に受け入れられず、模擬試験では国語の偏差値30台と最悪の状況でした。
 そんなとき、茅ヶ崎市に住む職場の同僚から茅ヶ崎国語塾を教わり、藁をもすがる思いで、塾の門をたたきました。娘が初めて国語塾にお世話になった日、迎えに行った私のところに、今までの反抗がうそのように、娘が元気よく晴れ晴れした顔で戻ってきました。先生は、子どものいいところを褒めてくださり、反抗期によくある『私のことをわかってくれない』というささくれた娘の気持ちを上手くほぐしてくださいました。
 それから9か月、娘は楽しく塾に通い、受験本番では、中央大学横浜山手中学校に奇跡的に合格することができました。
 やっと娘の受験も終わったとホッとしたのもつかの間、次は2歳年下の長男の番です。地元の大手学習塾に4科目で通っていましたが、茅ヶ崎国語塾の先生に信頼をおいていましたので、国語と算数は大手学習塾をやめて、国語塾の田中先生に国語を、淑乃先生に算数を全面的にみていただくこととしました。
 それから2年間、片道1時間半かけての車での通塾が始まりました。ここで活躍したのは父親です。父親は勉強の面倒はみませんでしたが、受験期、運転は専ら父親の担当となり、唯一、送迎で活躍してくれました。
 息子は、5年生の段階で希望校がおぼろげながらありました。そこは、都内に付属中学を3校もつ明治大学付属中学でした。その中でも、大自然に囲まれていて、通学も我が家からすれば通勤ラッシュと逆方向にあたる、明治大学付属中野八王子中学校を目指していました。目標が決まっていたこともあって、それに向かって2年間じっくり目指せば何とかなるかと、親として見守っていました。
 国語塾では、国語50分、算数90分の個別授業を受けていました。国語は文章読解のほかに漢字・語句を、算数は基本の演習を中心に取り組んでいただきました。家庭では、漢字、計算・一行問題をくり返し取り組むよう指導していただきました。
 6年生になってからは、国語、算数とも志望校の過去問をくり返し行い、また演習として、レベルの高い学校の過去問や出題傾向が類似している学校の過去問にも対応していただきました。
 一見、順風満帆に見えた受験の道も、6年生の夏に行き詰まりを見せはじめました。学力は停滞状態で、模擬試験を受けても志望校合格率は20%以下の判定が続きました。その結果には親も焦りますし、息子も勉強に嫌気がさしているようでした。けれども、模擬試験の結果を持って先生に相談しますと、先生からは、「男の子は、この頃は成績が伸びない子も多く、秋から冬にグ~ンと伸びますから、心配しないで、がっつり食事を食べさせてあげてください」とのアドバイスをいただき、暗闇に一筋の光明を見た思いでした。
 それからは、私も気合を入れなおし、毎日夕食後は息子と向き合って勉強に取り組みました。それからも、先生に親も応援してもらいながら、11月の模擬試験では、何とか合格率が65%まであがってきました。また、受験日に近づくと、頻繁に塾に通えない息子のために、国語の過去問をFAXでやりとりし、全問正解になるまでくり返し添削していただきました。
 息子の第一志望校の合格発表は2月1日の午前中にあったので、その試験で合格すれば長かった2年間は終わりになります。しかし、受験直前の最後の塾の日に、先生から「初日で受かろうなんて思わないように」と息子はアドバイスを受けたようです。親ですら、初日で受かってほしいと思っていたところですが、息子は「初日で!初日で!と意識しすぎると、力が入って逆に失敗すると先生は言いたかったんだよ」と解釈していました。そのとき、意外と冷静な息子とその成長ぶりに驚きました。
 結果は、初日で第一希望の合格を勝ち取ることができました。
 この日を迎えられたのは、勉強面はもちろんのこと、心の面でも生活面でも頼りにできる先生方とお会いできたことです。
 本当にありがとうございました。

▲ページの上に戻る

Y.A(合格校:横浜雙葉中学校、湘南白百合学園中学校、湘南学園中学校)

 娘は小3の2月から大手の塾に通っておりましたが、6年生の2学期から通塾日数が増え、体力的に週4日の通塾が負担になったため、思い切って大手塾への通塾は土日のみとし、以後平日の国語の勉強は、田中先生の志望校過去問添削一本にいたしました。
 添削の内容は、一校ずつ丁寧に解き、的確なアドバイスをいただきながら100点になるまで提出をくり返すというものでした。回を重ねるごとに力がつき、徐々に安定した点がとれるようになりました。
 また、冬休みと入試直前に授業を数回入れていただき、本番での時間配分の仕方や難しい知識の問題が出された場合の対処法などを教えていただきました。こうした先生の御指導のおかげで娘は安心して、また自信をもって入学試験に臨むことができました。
 親子面接のある学校でしたので、親子一緒に面接の指導もしっかりしていただき、面接本番は、娘も私も緊張することなく、私たちの考えをきちんと学校側にお伝えすることができたと思います。
 先生には国語の勉強以外にも、体調管理の仕方、模試の活用の仕方、併願校の組み方、願書の書き方(併願校の、家庭の教育方針を書く欄について)などさまざまな相談にのっていただきました。成績がふるわないときは、親の私の精神面のフォローまでしていただきました。
 中学受験という経験で第一志望校に合格できたことも喜びでしたが、よい先生にめぐり会えたことも本当に大きな喜びでした。
 田中先生に心より感謝申し上げます。

▲ページの上に戻る

H.Y(合格校:捜真女学校、聖園女学院)

 娘が中学受験の方向に向かったのは小3の夏で、友達が大手の塾に通っていたのがきっかけでした。
 それまで娘は、学校の基本的な取り組みしかしていなかったのですが、某大手塾に入りました。友達と楽しく通塾して、授業も面白かったのですが、授業だけでは習得はできず、もちろん、成果も上がりませんでした。テスト対策に追われ、課題に追われて追いつかずの日々でした。また、その頃、赤ちゃんの弟もいて、娘を中心に時間を割くこともできませんでした。
 やがて、娘の成長の容量と与えられている勉強の容量とでバランスがとれていないということに気づき、このままでよいのだろうかという疑問が深まっていきました。テストのたびに偏差値を見てがっかりし、出来ない娘を叱咤し、娘は凹んで勉強に意欲をなくし、またテストで点数が取れず、クラスの席順は下がり…と負のスパイラルが回っていきました。
 考えた末、基礎定着が出来ていないため、その場の単元を詰め込んでいく方法ではなく、基礎基本から積み上げ、基礎を構築して受験に取り組み、娘のペースで仕上げて入試を迎えようと思い、大手塾を5年夏に辞め、茅ヶ崎国語塾と算数塾と単科で理社を取れる塾へ転塾し、娘のニーズに合わせてカスタマイズした受験環境を作りました。心も身体も発展途上の子どもに対しての受験勉強の重圧を避け、ノウハウとハウツーを持っているスキルと経験値のあるプロの先生に預けたいと思いました。
 茅ヶ崎国語塾と算数塾では、勉強面での管理をしてくれ、娘の特色を理解していただいたので、お互いに信頼関係を持って勉強できました。しかし、個人塾に切り替えても、模試では数字(偏差値)に反映せず、親子とも、ジレンマに苛まれました。そのたびに、先生方には「数字は気にしない」と言われ続けました。そうしていくうちに、テストの成果ではなく、娘の実際の授業での理解と課題への真摯な取り組みに評価が移りました。
 6年の夏には、反抗期と私の焦りが重なり、自宅学習の管理に手をつけられなくなりました。田中先生には親子の問題をも相談し、納得できる自宅での取り組み方法まで一緒に考えていただきました。授業では褒めて伸ばし、ポイントを的確に抑え、諭し、また厳しく接していただきました。
 志望校を決めたのは、小5の合同説明会に出向いたときです。その頃、親子でかなり落ち込み深刻な状態に陥っていました。志望校のブースがあり、学校関係者の方に説明していただきました。そこで、当時の心境と状況を話してしたら、捜真のS試験の導入の話を伺いました。「希望で入ってくる子を優先し、前向きに楽しく過ごす6年間になるように努めます。その為のS試験を設定しました」と仰いました。
 受験は入ってからが大事。入る前に燃え尽きてはならないと感じていましたので、学校の方針に共感し、早速説明会に行きました。そこで学園長が「大事なお嬢様を預けてくださいましたら、私たちが責任を持って6年後、素敵な女性にして必ずお返しいたします」とおっしゃったので、志望校にいたしました。
 国語塾で教えていただいて印象深かったのは、田中先生が、毎回の授業の出来や課題の取り組みを見て判断し、締めたり伸ばしたりと常に調整をしているところでした。
 先生が「2/1~7に焦点を合わせ、花の開花のように、当日に満開になるように、先に咲き切らぬよう、後に咲きださぬよう、丁度よい塩梅にしてゆきます」と仰っていたのが印象的でした。子どもを注意深く観察していないとできないことなので、感服いたしました。
 算数塾の先生は、授業内容を聞いてもいつものんきな感じで、宿題も大手に比べ少なく、正直大丈夫かと心配し、面談をお願いしたり、メールで近況をお伝えしたりとしていました。それでも、マイペースでこなしておられました。最後の模試が散々でしたのでとても不安になり、過去問に間違えた箇所に付箋をして娘に持たせましたが、「直前になるとこういうお母さん、増えるんだよな(笑)」と娘と呆れた会話をしていたようでした。(笑い話です)そして、先生と娘は、平常心で淡々粛々とこなすのみでした。
 入試前日には、国語と算数の授業で息を整え当日入試本番を迎えました。最後の最後に力を発揮できました。
 こうして紆余曲折ありながら、娘の受験が2/1の初日に無事終わり、プロセスを重視するという成果もしっかり掴みました。そして勉強だけではなく、信頼をした先生方に出会うという付加価値まで手に入れ、心も身体も成長しました。

▲ページの上に戻る

合格体験記 保護者のコメント

K.S(合格校:鎌倉学園 他)

「サッカーの強い中学へ行きたい!」という息子の希望で始めた受験でした。
とはいえ、サッカーの練習が平日3日あり、週末は毎週のように試合が入っていたので、大手の塾には通えませんでした。
最初は通信教材で受験勉強を進めていたのですが、国語の成績がなかなか伸びなかったので、5年生の夏から茅ヶ崎国語塾でお世話になりました。
大手塾に通わずに取り組む自宅学習は、予想以上に大変でした。一週間の大まかなスケジュールを立て、それを日々こなしていきましたが、予定通りに進まない日や、反抗期も重なり、勉強が全くできなかった時期もありました。
 何度も何度も挫折しかけましたが、そのたびに田中先生が相談にのってくださり、冷静にアドバイスをしてくれました。息子はもちろんですが、私のほうが精神的にたくさん助けて頂きました。
私が気をつけたことといえば、睡眠を十分にとらせることと栄養管理です。
 夜は遅くても10時半には寝かせ、朝は6時に起こして、規則正しい生活を心掛けました。やはり、寝不足だと思考能力も低下します。勉強がはかどらないとあせりますが、眠い中で勉強してもあまり身にならないので思いきって寝かせてしまいました。
 食事はバランスを考えていましたが、息子から「野菜が足りないからといって青汁を出すのはやめて!」とNGが出たこともありました。

 実際に入試が始まり、初日は合格をいただけましたが、2/2、2/3と不合格が続き、私のほうが参ってしまいました。しかし、息子は最後まで淡々と受け続け、最終日に念願の志望校の合格を勝ち取りました。サッカーでいえば、ロスタイムに大逆転といったところでしょうか…。
 息子の番号を見つけたときは、夢を見ているようで、しばらく信じられませんでした。友達ともっと遊びたかっただろうし、サッカーも思いっきりやりたかっただろうと思います。行きたい学校があるにしろ、いろんなことを我慢させてまで本当に受験をさせて良いのだろうか? と悩んだ時もありました。
 でも、受験を終え、やり遂げた満足感でいっぱいの一回りも二回りも成長した息子を見て、今は受験をさせて本当に良かったと思っています。
 田中先生に出会わなければ息子の合格はなかったと思います。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

▲ページの上に戻る

R.K(合格校:藤嶺学園藤沢 他)

 僕は、受験について学んだことがあります。それは、自分が本気にならなければ、成功は決してないということです。
 僕は、「藤嶺藤沢中学に入って中学生活を送りたい」と本当に強く強く思いました。最後に勝つのは、その思いの強さだと確信しました。
 今の偏差値はあてにならないから、とにかく、一日一歩でも良いから、前に進むことだけを考えました。そのおかげで、模試では、合格率30%未満といわれた僕だけど、塾の先生がたや、神様におすがりして、何とかギリギリで合格することができました。
(ちょっと悲しいのは、誰も僕の実力とはいってくれず、「神様ありがとう!」と皆が言っていたことです。特に、母が…。)

▲ページの上に戻る

食事の改善で集中力とやる気にスイッチ(R.K母)

 「俺は、国語はできる」といっていた息子でしたが、過去問を解いていくうちにだんだんと自信喪失していきました。
 長文読解の最初の設問にひっかかってしまい、最後まで読み解く事ができないのでした。理数系は大の苦手でしたが、大手塾では”コテコテの文系男”と言われていただけに、国語で点が取れないのはショックでした。
 受験経験のある友人に相談したところ、茅ケ崎国語塾を紹介されました。そのとき、試験本番まで、すでに100日を切っていました。
「今頃電話しても、生徒がいっぱいで教えることが出来ないと断られるかもしれない」「
でも、今、何か行動に移さないと後悔してしまう」そんな気がして、すぐ茅ヶ崎国語塾のHPから連絡を入れました。すぐに田中先生はお返事をくださり、何とか教えて頂くことができました。
 過去問を中心に、時間配分のとりかた、慣用句、文学史など、受験する学校にあわせて対応してくださり、息子は、「すごくわかるようになった」と自信を取り戻していきました。
 ただ、本当に理科と算数が嫌いで、大手塾で算数をたくさん勉強していたわりには身についておらず、模試も散々な成績。最初は、「算数ができない」という私の言葉を「謙遜している」と田中先生も思っていらしたようでしたが、体験授業で田中先生の娘さんの淑乃先生に算数を見ていただいたら、あまりの出来の悪さに「大変だ」ということになり、ラスト2か月は、できるかぎり国語と算数の授業を入れて頂き、みっちり教えて頂きました。
 算数は、日能研『計算マスター1095題』で基本の計算を一日12問解きました。計算以外は、分野別に過去問を分けてくり返し解き、解き方を暗記するくらいまでやるようにといわれました。最初のうちは、計算問題だけで2時間くらいかかってしまうこともあり、書き写し間違いや簡単なミスをくり返す息子に、「こんなのもわからないの?」と怒ったり、息子も「もうやめた!」と怒鳴ったり、ケンカばかりで本当に苦しかったです。計算以外には手をつけられず、焦るばかりでした。12月は、毎週日曜日に13時から16時まで3時間続けて、茅ヶ崎国語塾で算数の授業がありました。
 最初の頃は、お昼を簡単なものしか与えずに塾に送りだしたことがありました。途中でお腹がすいてしまい、集中力がなくなりました。すると淑乃先生から、「まともなものを食べさせてください。勉強はすごくエネルギーを消費するので、ガッツリ肉を食べさせてから、勉強に来させてください」と言われました。
 「肉だとかえって胃もたれし、たくさん食べすぎて眠くなって授業どころではなくなるのではないか」と半信半疑ながらも、ガッツリ、肉野菜炒め定食やとんかつ、そしてモスバーガーの、目玉焼きが入っている「金の照り焼きバーガー」などをお腹いっぱい食べさせてから、国語塾の授業に行かせました。そうしたら、嘘のように、集中力とやる気にスイッチが入り、本当に良い方に良い方にと転がっていく感じになりました。算数の出来は相変わらずでしたが、本人の算数に対する姿勢が後ろ向きから前向きに変わったのが、とても印象的でした。それ以来、「金の照り焼きバーガー」は息子の必須アイテムになりました(笑)。
 1月になり、本番まで30日を切りました。もう、ここまで来ると、新しいことやるより、出来ているところは絶対に取りこぼさない、そして、すがれるものには、すがりつく。
 茅ヶ崎国語塾の田中先生親子はもちろんのこと、小学校の担任の先生にも応援をいただき、この近所で一番近くてご利益のありそうな鎌倉の荏柄天神社では、受験合格ご祈祷をしていただき、受験日当日のご祈祷、絵馬に「合格お願いします」のメッセージを書き、合格かき集め熊手、お守りを買いました(本人のたっての希望で、後日、祈祷済ハチマキも購入)。
 スーパーに買い物に行っては、各菓子メーカーがこの時期出している、とても有難いネーミングのお菓子、『うかーる、キットカット(応援メッセージ入り)』、トッポではなく『トッパ』、『うカルピス』などを買って食べさせました。
 受験本番まで1週間を切ったあたりから、田中先生から桜のつぼみメールが毎日届きました。「受験は格闘技です。1週間続くトーナメントを勝ち抜くには、栄養、特にタンパク質です」とメールにあったので、早速、ドラックストアに行き、アミノ酸の含有量が多い「アミノバイタル」や「即攻元気」というドリンクゼリーを購入。
 実は、1/23に私がインフルエンザにかかってしまい、息子に移すのではないかとヒヤヒヤしていました。病院の先生にも相談して取れるべき措置は取ったのですが、不安でいっぱいでした。でも、当の本人は、いつも「暑い」と言い、塾でもTシャツ1枚で過ごしており、「俺は、風邪はひかない」と豪語していました。食べるものをきちんと食べていたので、体力には相当自信があったようでした。
 いよいよ、受験当日。温かい恰好で行かせたかったのですが、息子は相変わらず、「勉強していると暑くなるから」と、半袖Tシャツにパーカーで試験会場に臨みました。「お願いだから」と外ではダウンジャケットを着せました。アミノ酸の入ったドリンクゼリー、田中先生御用達のプロテインクッキー、荏柄天神社の境内の梅で作った有難い梅干し入りのおにぎり、しゃけのおにぎり、ウインナー、卵焼きを食べやすく小分けにしいて持たせ、朝御飯もしっかり食べて初日の試験に向かいました。
 初日は午後受験もありましたので、お昼もまた大戸屋でガッツリ食べて、持たせたお弁当もしっかり食べて、初日は2校とも合格することができました。これで藤嶺に心おきなくチャレンジできると気を良くした息子は、2/2、2/3、2/6と受け続けますが、不合格。算数に時間を割きすぎていましたので、手薄になった理科、社会のある藤嶺の4科受験は無謀だったと誰しもが諦めていました。
 しかし、翌日の夕方、藤嶺中学からまさにミラクル、追加合格の連絡を頂きました。本人も大喜び! 彼は、皆が諦めていた6日の夜も、密かに合格かき集め熊手で、「追加合格、来い!」と掻き掻きしながら祈っていたと白状しました。大宰府まで行ってお祈りしてくれた友人、湯島に行ってご祈祷して合格鉛筆を送ってくれた伯母、そして先生達、本当に多くの方々に支えられ、良い結果を出すことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

▲ページの上に戻る

合格体験記 保護者のコメント

H.K(合格校:桜蔭 他)

 娘は、国語の記述にとても苦手意識を持っていました。
 6年生の夏休みくらいから、第一志望である桜蔭中学校の過去の入試問題にとりかかったのですが、10年分やっても全く国語の点数が上がらず、不安になりました。
 通っていた大手の塾の先生に相談しても、「直しを丁寧に」という指導だけで、「丁寧な直し」というものがどういうものかわからず、どうすれば国語の記述で点を取れるのか、あれこれ悩んでいるうちに月日が経ってゆき、とても焦りました。
 そこで、国語の家庭教師や個別指導の塾をパソコンで探して、茅ヶ崎国語塾のホームページを見つけました。ホームページには、田中先生の自己紹介や指導歴が書かれていて、先生がいろいろな中学校の国語の問題を分析されていたので、「田中先生だったら、娘の記述対策をお任せすることができる」と思い、先生にお電話しました。
 娘が通っていた塾の授業や家庭学習での時間が限られている中、田中先生は娘の都合に合わせて体験授業の時間を入れてくださいました。
 体験授業を受けると、娘の乱れた字で読みにくかった解答用紙が、まるで魔法をかけたかのように、きれいに整った見栄えの良いものに変わりました。
 それから、1度、2度、3度……と、田中先生の指導を受けていくうちに、それまで何も書き入れていなかった問題用紙の文章に印がつけられ、線を引くことができるようになりました。そして、記述のポイントや「直し」のやり方がわかるようになり、問題を作った方がどういう解答を求めているのかが少しずつわかるようになりました。
 1月になってからは、大学入試問題や桜蔭中学校と傾向の似た他の中学校の過去の入試問題も指導してくださり、入試直前までFAXやメールなどで田中先生にフォローしていただきました。
 そして、2月1日。母娘ともに「国語の記述も十分書けるようになったのだから大丈夫」と、あまり緊張することなく桜蔭中学校の入試当日を迎えることができました。
 筆記試験と面接が終わり、試験会場から出てきた娘の顔は晴れ晴れとしていました。
 田中先生に指導していただいたことは、これからも国語を勉強していくうえで大切なことばかり。要点メモは娘の大切な宝物です。
 的確な志望校対策をしてくださった田中先生に心より感謝申し上げます。

▲ページの上に戻る

R.W(合格校:都立富士高等学校付属中学)

 僕は、田中先生に添削をしてもらい、今までの自分の作文がどれだけダメだったかに気づきました。きっと、茅ヶ崎国語塾に行かなければ、作文はできていないことに気づかず、試験にも落ちていたと思います。
 田中先生に会ったのは、電車で一時間かけて塾へ行ったときだけです。そのあとはファックス添削でやり取りしていましたが、作文の力は、ものすごく伸びたと思います。
 ある日、僕が父に「作文をお母さんに見せても、できているかどうか、わからない」と言ったのが受講のきっかけでした。

この僕の言葉に、父が「いいところがある」と言って、茅ヶ崎国語塾を紹介してくれたのです。この茅ヶ崎国語塾の田中先生との出会いは、今も覚えています。そして、とてもすばらしい国語塾を教えてくれた父、僕の作文を良くなるまで添削してくれた田中先生には、とても感謝しています。
 合格の喜びがあるのは、みんなのおかげです。ありがとうございました。

▲ページの上に戻る

R.T(合格校:豊島岡女子 他)

 私は帰国子女です。2歳から海外で暮らし、帰国直前まで現地校に通っていました。
 小4の夏に帰国して早稲田アカデミーに通い、小6では算数・理科・社会の偏差値が60台まで上がりましたが、国語の成績だけは40台で、どうしても上のクラスにいけませんでした。小6の夏にSAPIXに転塾し、夏休みは有名中の添削などで頑張ったのですが、8月末のマンスリーでは国語の偏差値が32まで落ちてしまいました。
 2学期に入り、塾の友達は順調に受験校対策を進めているのに、私は併願校がなかなか決まらず、他教科の復習にも追われ、塾への過去問提出が極端に遅れてしまいました。塾の先生には、週に2学校分程度といわれていたので、このままでは間に合わないと思うようになりました。そこで、塾以外に過去問を添削してくださるところはないか、母がインターネットで探して、やっと見つけたのが茅ヶ崎国語塾でした。
 それで昨年の12月15日から先生に添削していただいたのですが、先生の添削は、私が今まで塾で経験した添削とはまったく違っていました。
 塾の添削では一度問題を解くと、解説と答えを見て、先生のコメントを見て、自分なりに間違った原因を考えて終わり、でした。もう一度そっくり同じ問題がでたら解けるだろうけど、一度やった問題をいくら復習しても、新しい別の問題が解けるようになるわけではなく、いつも不安でした。
 でも、田中先生の添削は、一度提出すると、先生が書き込んでくださったヒントをもとに、満点になるまで何度も提出するのです。私はどの問題も3~4回提出しました。解説も答えも見ることなく、自分で徹底的に考えるので、何度もやっているうちに、次第に解き方がわかるようになりました。まったく新しい問題でも、どこを読み、どこをまとめるのか、答えを書く時間はどれくらいか、最後のほうには自分の中に目安のようなものができてきたように思います。これでかなりの自信がつきました。
 田中先生からは、「他教科の勉強もあるのに、よく国語にこれだけ時間を割けましたね」と褒めていただきましたが、私は逆に、国語を先生に見ていただくことで他教科の勉強に心おきなく集中でき、効率が上がりました。また、直前まで毎日少しずつ国語対策をしていたので、うまくピークを入試本番にもってくることができたように思います。1月末には塾も終わってしまうし、一人では、毎日、直前まで志望校の国語対策などできません。ほかの人がしていない対策をしていると思うと、それも大きな自信となりました。
 当日は、先生に添削していただいた紙を学校ごとに製本して試験会場にもっていきました。まとめてみたら、学校によっては100枚近くになってしまい、びっくりしました。こんなふうに直前まで毎日国語に触れていたおかげで、本番はまったく緊張せず、集中して問題を解くことができました。志望校に合格できたのは、田中先生のおかげだと思います。
 田中先生、ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

▲ページの上に戻る

合格体験記 保護者のコメント

たった一枚の添削から変わった娘の国語学習(R.T.母)

 小4夏の帰国直前にはまったく日本語を話さず、帰国後もクリニックとクリーニングの区別さえつかなかった娘。国語をなんとかしなければと、いろいろな先生にアドバイスを求めてきました。小6の夏、塾の国語の先生が言うには、「もう時間がないので、たとえ国語が0点でも合格できるように3教科を頑張ること」とのこと。まるで最後通牒のように感じられました。
 それから半年、語彙が少ないのがいけないのか、読む速度が遅いのか……と、塾の先生がさじを投げた娘の国語の問題点を四六時中考えました。そして、本文に線引きすればいいのかも、問題を解かずに読むといいかも、空欄補充解答を作って埋めさせたらいいのかも……などなど、まだ何か国語を伸ばす方法があるかもしれないとの思いで、ネットや書籍で国語の勉強法を読みあさりました。でも、いくら家で目の前の問題にじっくり取り組んでも、初見の問題になるとまるで太刀打ちできません。成績はなかなか上がらず、模試があるたびに、やっぱり無理なのだろうか? と絶望する日々でした。
 結局、他教科の穴埋めにも時間がかかり、12月半ばの段階で、娘は過去問もろくに終わっていませんでした。独力でやろうにも、国語だけは自分で採点できません。塾のお友達はもうすでに2回目に入られている方も多い中、せめて過去問だけは点数が出る形で終わらせてあげたいと、あきらめ半分で田中先生にお願いしました。
 なので、最初の添削が終わり、田中先生から、「一文中に主語が二つ以上出てくる文の主語の認識がまだ甘い」「形式段落の認識が甘い」などと、娘の弱点についての具体的なご指摘をいただいたときはびっくりしました。そして、娘には「一文を取り出したときの主語をチェックしてごらん」「同じ単語、似ている単語で本文の検索をかけてみて」「『毒』という表現は本文中で二度目だから、最初に出てきたところをチェックして」と、これまた具体的な対処法を教えてくださったのです。娘もFAXを一目見るなり「なるほど!」と合点がいったらしく、一人で嬉々として見直し、答案を書いていました。今まで自主的に国語に取り組んだことがまったくなかった娘が、自主的に積極的にやっている姿も新鮮でした。
 娘の国語で四六時中悩み続けた私のこの半年は何だったのだろうと思いました。今までどんなに評判のよい国語の先生に伺っても、「読書量・語彙を増やせ」「音読してみたら」など、誰にでも通用するようなアドバイスしかいただけず、具体的に今の娘に何が足りないのか、どうすればできるようになるのかを教えてくださった先生は一人もいませんでした。それを田中先生はたった一枚の添削で娘の問題点を見抜き、対処法を示し、なおかつ次につながる国語の解法を娘が習得できるよう導いてくださったのです。素人の私があれこれ悩む前にもっと早く田中先生にご相談していればよかった、と本当に後悔しました。
 それからの娘の伸びは目覚ましいものがありました。何よりも娘自身が先生のFAXを待ち望み、一人で本当に楽しそうに取り組んでいました。結局、本番直前までご指導いただきましたが、国語に憂いがなくなったことで、かえって他教科にも集中できたように思います。田中先生のご指導は、傍らで見ていて母親自身も目からうろこ的要素が多く、母娘ともども大いに学ばせていただきました。中学受験のためのご指導ではありましたが、先生の添削により、娘の読解力・論理的思考能力・表現力は大いにアップし、今後の人生にとっても、大きな力になったことと思います。
 志望校から合格をいただけたのは、田中先生のおかげです。本当にありがとうございました。

▲ページの上に戻る

合格体験記 保護者のコメント

U.N(合格校:早稲田実業)

 娘は大手塾に通うことをせず、家庭教師やわれわれ両親に教わることもなく、中学受験に挑み、志望校に合格しました。
「勉めることを強いると書くから、勉強は嫌なんだけど、わからないでいることはもっと嫌だし、知ることはおもしろいんだよね」などとつぶやきながら、毎日参考書をめくり、市販の問題集を解いていました。
 ただ、詰まったのが国語。「自分で丸をつけられないから」と私に持ってくるのですが、記述となると私の採点もあやふやです。主要教科の対応がこのままではまずいと思い、茅ヶ崎国語塾のFAX添削のお世話になりました。
FAX添削を続けるうちに、一人で勉強を持続させる意志が積み重なって、娘仕様の凝縮された学習となっていきました。特に、娘のペースで考えを熟成させることは「自分でできる」という自信につながっていきました。受験は努力がすべて報われるものではありませんが、娘の合格はやはり娘の頑張りの結果だと思います。
 憧れてやまなかった中学で、この経験を生かし、将来のことをゆっくり考えてほしいと思っています。

【娘が中学受験に向けて自宅学習でこなした問題集】
4年生から受験を意識し始め、とりあえず算数だけは始めておこうと、学研の『応用自在・算数』を私が教えてみるも、娘の理解のスピードが早く、私のほうがgive up。算数の先生のアドバイスによりますと、基礎は、四谷大塚『予習シリーズ』がよいそうです。これ以降、娘は一人で学習を始めました。

  • 文一総合出版『栗田哲也先生のスピードアップ算数(発展)』
  • 東京出版『ステップアップ算数』
  • 東京出版『プラスワン算数』
  • 東京出版『中学への算数』(2年分)
  • 文英堂『最高水準問題集』
  • 私立中学中堅校上位あたりの過去問(早稲田実業[志望校]の過去問は10年分を3サイクル)

社会・理科はいろいろな本を読ませました。5年夏過ぎからは

  • 四谷大塚『予習シリーズ サブノート』
  • 日能研『メモリーチェック』
  • みくに出版『中学入学試験問題集
    (いわゆる銀本)』

 などを中心に取り組み、銀本は学研の応用自在で確認しながらやっていたようです。予習シリーズだと何冊かに分かれてしまっているけれど、これだと一冊ですむからと言っていました。
 また、問題集ではないのですが、社会は、語学春秋社『社会授業の実況中継①~④』を熱心に読んでいました。ある日の模試がこのレベルになったと気づいたようです。本当にすごい量の本を読んでいたのは確かです。

添削カリキュラム

第一期添削
第一回 栄光 H12
第二回 開成 H12
第三回 海城 H15 一回
第四回 聖光 H17 二回 
第五回 栄光 H13
第六回 麻布 H10
第七回 海城 H16 二回
第八回 聖光 H18 一回
第九回 早稲田 H15 二回
第十回 桜蔭 H10
第二期添削
第一回 湘南白百合 H15
第二回 渋谷教育渋谷 H17 二回
第三回 都立立川国際 H20
第四回 湘南白百合 H16
第五回 渋谷教育渋谷 H18 二回
第六回 京都府立園部 H20
第七回 湘南白百合 H18
第八回 渋谷教育渋谷 H18 一回
第九回 桜蔭 H14
第十回 早稲田実業 H13
 
第三期添削
第一回 学習院 H19 一回
第二回 麻布 H11
第三回 早稲田実業 H14
第四回 開成 H18
第五回 学芸大附属 H19
第六回 学習院 H20 一回
第七回 麻布 H15
第八回 早稲田実業 H15
第九回 開成 H20
第十回 渋谷教育渋谷 H17 一回
第四期添削
第一回 女子学院 H18
第二回 灘 H16
第三回 桜蔭 H15
第四回 都立白鷗 H18
第五回 女子学院 H19
第六回 灘 H17
第七回 桜蔭 H16
第八回 都立白鷗 H19
第九回 灘 H18
第十回 桜蔭 H18
  おまけ 灘 H15(添削なし)
 
第五期添削
第一回 渋谷教育渋谷 H16 一回
第二回 都立小石川 H18
第三回 慶応中等部 H14
第四回 慶応中等部 H15
第五回 早稲田実業 H16
第六回 渋谷教育渋谷 H16 三回
第七回 都立小石川 H20
第八回 慶応中等部 H16
第九回 慶応中等部 H17
第十回 早稲田実業 H17
第六期添削
第一回 青山学院 H19
第二回 聖光学院 H19 一回
第三回 ラ・サール H14
第四回 聖光学院 H19 二回
第五回 青山学院 H18
第六回 ラ・サール H16
第七回 青山学院 H20
第八回 ラ・サール H18
第九回 早稲田大学本庄高等学校 H14
第十回 早稲田大学本庄高等学校 H15
 
第七期添削
第一回 日本女子大学附属 H20
第二回 日本女子大学附属 H21
第三回 ラ・サール H19
第四回 ラ・サール H20
第五回 灘 H19(一日目と二日目両方)
第六回 灘 H20(一日目と二日目両方)
第七回 早稲田実業 H18
第八回 早稲田実業 H19
第九回 早稲田実業 H20
第十回 法政大学第二高等学校 H19
第八期添削
第一回 麻布 H20
第二回 聖光 H20 一回
第三回 女子学院 H20
第四回 慶応中等部 H18
第五回 麻布 H21
第六回 聖光 H20 二回
第七回 女子学院 H21
第八回 慶応中等部 H19
第九回 聖光 H21 一回
第十回 慶応中等部 H20
 
第九期添削
第一回 日本女子大学附属 H20
第二回 日本女子大学附属 H21
第三回 ラ・サール H19
第四回 ラ・サール H20
第五回 灘 H19(一日目と二日目両方)
第六回 灘 H20(一日目と二日目両方)
第七回 早稲田実業 H18
第八回 早稲田実業 H19
第九回 早稲田実業 H20
第十回 法政大学第二高等学校 H19
第十期添削
第一回 慶応普通部 H17
第二回 横浜共立(B方式) H17
第三回 慶応普通部 H18
第四回 横浜共立(B方式) H18
第五回 慶応普通部 H19
第六回 横浜共立(B方式) H19
第七回 慶応普通部 H21
第八回 横浜共立(B方式) H20
第九回 慶応普通部 H21
第十回 横浜共立(B方式) H21
 
第十一期添削
第一回 早稲田実業 H13
第二回 豊島岡女子 H17 一回
第三回 早稲田実業 H14
第四回 豊島岡女子 H18 二回
第五回 早稲田実業 H15
第六回 豊島岡女子 H19 二回
第七回 早稲田実業 H16
第八回 豊島岡女子 H21 一回
第九回 早稲田実業 H17
第十回 豊島岡女子 H21 一回
第十二期添削
第一回 早稲田 H17  一回
第二回 豊島岡女子 H18 一回
第三回 早稲田 H18  一回
第四回 早稲田実業 H18
第五回 豊島岡女子 H19 一回
第六回 早稲田 H19 一回
第七回 豊島岡女子 H20  一回
第八回 早稲田実業 H20
第九回 豊島岡女子 H17 二回
第十回 豊島岡女子 H21 二回
 
第十三期添削
第一回 早稲田 H18 二回
第二回 横浜双葉 H18
第三回 渋谷教育渋谷 H21 一回
第四回 早稲田 H19 二回
第五回 横浜双葉 H19
第六回 渋谷教育渋谷 H21 二回
第七回 早稲田実業 H21
第八回 本番ヘゴー!!
 

▲ページの上に戻る