合格体験記

D.T(灘、洛南附属、須磨学園合格)

 主人の転勤で、関西から茅ヶ崎に引っ越して来たのは、息子が小学三年生の12月でした。
 小三の2月から大手塾に通い始め、比較的安定した成績で小五の夏まで過ごしてきましたが、小五の後半から国語の成績が落ちはじめました。
新六年に入るとさらに国語の成績が下がり、ついに国語の偏差値が30台となりました。難関校を目指しているとは思えない成績となり、大手塾では補えない部分の力添えをしてくれる個別塾を探さねばと色々調べるうちに、茅ヶ崎国語塾のことをみつけました。
 体験授業を受け、本人の志望校にあう的確な指導をしてくださることを確信し、すぐに入塾を決めました。
 当初の志望校は、聖光学院、麻布、浅野でした。関西の学校は、灘を記念受験しようと思っていました。そのため、茅ヶ崎国語塾では、聖光学院、麻布対策に力を注いでいただきました。各学校の過去問との相性を先生が教えてくださったので、安心して見守ることができました。
 その後、大手塾のテストでは相変わらず偏差値の乱高下はありましたが、テストの見直しをすると、息子は、自分で自分の間違いや減点の原因に気づけるようになってきました。

 しかし、受験本番にさしかかってきた11月のことでした。突然、主人の関西転勤が決まりました。志望していた学校が受けられないことが分かり、受験校の見直しをすることになりました。息子の精神面を思うとすぐに関西に引越しをすることはできず、この状況の中で、関西エリアの受験対策をすることにしました。
いままで記念受験と思っていた灘を第一志望にすることは無謀な試みと思いましたが、息子の意志は固く、第一志望は灘中学、第二志望は洛南高校付属中学にしました。
 国語塾では、11月から灘対策として、過去問を中心に授業を進めていただきました。過去問をくり返し解くうちに、苦手な記述で点数が取れるようになってきました。田中先生から、息子が灘の国語の問題と相性がよいことも教えてもらい、その言葉が励みとなりました。
 そして、入試の日を迎え、無事に灘中学に合格できました。大手塾の模試で一度も80%の合格率を取ることはできなかった灘に、合格することができました。
 灘は、入試の結果が、科目ごとの点数とともに成績表としてもらえるのですが、息子の成績表を見てみると、2日目の国語の得点が、平均点を20点以上も上回り、合格につながったことがわかりました。
 これは、ひとえに、国語塾で鍛えていただいた成果だと思いました。
 小五の秋に国語の成績がガクンと落ちず、国語塾に出会わなければ、合格することは難しかったと思います。
 結果的に、受けた学校からはすべて合格をもらうことができました。
 これからも国語塾で培った記述力を武器に、息子が頑張ってくれたら嬉しいです。  今まで本当にありがとうございました。

I.H(慶應普通部、慶應湘南藤沢(一次合格二次辞退)、立教新座、他多数合格)

 息子は、小学校三年のときから大手塾に通いじめました。最初は、全体的にバランス良く成績がとれていました。しかし、小五の冬ごろから雲行きがあやしくなり、気がつけば、息子の国語の記述の解答欄は、毎回白紙。一緒に答え合わせをしても、語彙力、読解力が無いらしく、「何を書いていいのかわからない」と本人が言い、国語の学習に時間ばかりかかっていました。
 小六になると、国語が完全に足を引っ張るようになり、これでは志望校には受からないと悩み焦っていた時に、茅ヶ崎国語塾に出会いました。
 田中先生は落ち着いた様子で、「大丈夫です。頑張りましょう。」と言ってくださいました。とても心強かったです。
 最初は息子の歩幅に合わせ、無理のないボリュームから進めてくださいました。この時、私たちは、今までいかに国語の勉強量が足りなかったかかということに気付き、もっと早く入塾しておけばよかったと感じました。
 先生の指示に従い勉強を進めていくと、次第に効果が現れました。今まで全然書けなかった記述が書けるようになり、成績も少しずつ戻ってきました。大手塾との併用は大変でしたが、大手塾の膨大な課題があるなかで、田中先生が適量の宿題を出してくださったので、無理なくできました。
 しかし、夏休み明けから、実際に各中学校で模試を受けるようになると、息子は過度に緊張するタイプであったため、雰囲気にのまれ焦ってしまい、成績は急降下し始めました。田中先生は、すぐに私にアドバイスをしてくれ、毎回授業のたびに息子にも声をかけてくださいました。私も「緊張するのはみんな同じ。いつもどおりゆっくり落ち着いてやればいいのよ」と何度も息子に言い聞かせました。
 そのかいあって、12月には成績が戻りはじめ、1月は焦ることなく落ち着いて勉強に取り組むことができました。この時期に、過去問、漢字、知識問題などにじっくり取り組めたのは大きかったと思います。
 先生には試験前日まで授業をしていただき、当日にやることをご指導していただきました。そのおかげで第一志望の慶應普通部に合格することができました。  国語塾なしではこの合格はなかったと感じております。
 本当にありがとうございました。

K.O(慶應大學文学部、津田塾大学学芸学部、青山学院文学部、立教大学経営学部、日本大学文理学部、明治学院国際学部合格)

 私は、茅ヶ崎国語塾で小論文の授業を受けていました。慶應義塾大学文学部を第一志望としていましたが、試験科目である小論文に関する知識が何もない状態からのスタートでした。私の勉強の予定に合わせて授業を組んでいただくという形で授業を進めていきました。
 はじめは、小論文を書くことに対して自信がなかったのですが、田中先生はそれぞれの問題で求められている方向性やキーポイントを提示してくださり、徐々に小論文を書く感覚が身についてきました。
 授業では、慶應文学部の過去問はもちろんのこと、慶應の他学部や東大や一橋などの国公立大学の類似問題もたくさん解きました。
 茅ヶ崎国語塾で学んだことで、小論文のノウハウはもちろんのことですが、深い思考力を養うことができたと思います。
 また、文学部の英語の試験は、超長文を読み、日本語で要約する問題があるのですが、入試本番では、小論文の授業で論理的な日本語の組み立て方を学んだことが活きたと思います。
 田中先生が教えてくださったことは、大学受験だけにとどまらず、この先、大学や社会に出てからも役に立つと思います。

 本当にお世話になりました。ありがとうございました。

R.I(東京農業大学地球環境科学部 公募推薦合格)

 私は農業高校に通っており、卒業後は東京農業大学に入学したいと考えていました。東京農業大学には、公募推薦で受験しようと考えていました。公募推薦には小論文と面接があります。しかし、私は国語が苦手で、小論文の書き方がよくわかっていませんでした。そんな時、母の勧めで、茅ヶ崎国語塾に通うことに決めました。
 入塾してしばらくは、文章を決められた時間で読み、大事な所を百字以内にまとめる練習をしました。それをくり返すことで、要約する力がつき、速読する力もつきました。  また、農業に関するいろいろな資料を読み、活用することで、高校で習ったこととは違う、新しい農業の知識が広がりました。
 さらに、授業の初めに先生が出してくださるテーマに対して小論文を書くことで、小論文の書き方を理解し、早く正確に書けるようになりました。

 小論文だけでなく、面接の練習もおこなっていただきました。私は、小論文より、面接の方が苦手だったので、どうなるか不安だったのですが、先生が見捨てずに何度も練習してくださり、格段に面接が上手くなりました。
入試本番は、少し緊張してしまったのですが、先生に言われてきたことを意識し、全力を出し切ることができました。そして、11月24日に合格することができました。

 先生も一緒になって農業について、勉強してくださって、最後まで見ていだだきました。先生と出会わなければ合格できなかったと思います。
 ありがとうございました。

T.K(同志社大学経済学部、獨協大学経済学部、東海大学海洋学部)

 僕は全く古典が出来ず、高三の9月ごろに受けた模試の古典の点数は0点。その前も、またその前も0点。しかし、第一志望の同志社の入試には古典の問題が出題されるので、しっかりした古典の能力をつける必要がありました。一時は、入試に古典を課さない大学を第一志望校にすることも考えましたが、どうしても同志社を諦めきれず、とても悩んでいました。
 そんな時に母の友人に紹介してもらったのが茅ヶ崎国語塾。
週に一度だけの授業でしたが、僕個人の弱点や入試頻出のポイントを突く的確なアドバイスや、それを確実に自分のものにするための計画的な宿題のお陰で、自分でも変化が分かるほどメキメキと古典の力が伸びていきました。古典常識や古典の世界観を理解出来るようにと、先生が、『紫式部日記』や『和泉式部日記』の現代語訳を読ませてくださったりもしました。
 11月半ばに、田中先生に入試への不安を訴えた時に、「心配しないで、私はプロですから」とおっしゃった言葉を今でも忘れません。
 古典だけでなく自分の中で蔑ろにしていた現代文も、文章を読むにあたって着眼すべきポイントや問題への取り組みかた、時間配分や、さらには問題を解いている最中の集中力の持久方法についてもアドバイスをしてくださり、これまでに無いほど自分に自信を持つことが出来ました。失敗なんてない、そう思えるまでに自信がついたのです。

 しかし、センター試験では惨敗。5つ出願したうち1つしか合格を得ることができませんでした。試験が終了して完全に打ちのめされていた自分でしたが、先生は冷静にセンター試験での精神状態を分析し、【本番に負けない】勉強の方法を教えてくれました。センター試験では、慎重になりすぎて時間が足りなくなってしまったため大失敗したのですが、そのことを上手くバネにし、過去問の制限時間を10分縮めて取り組むことをくり返しました。勉強面でも精神面でも完璧な状態で一般入試日に臨めるような体制を整えてくれたのです。

 そうして臨んだ同志社の入試では、センター試験のときには感じられなかった大きな手応えを感じ、その手応えを合格という形で目に見ることができました。得点開示によれば、古典は一問ミスでした。

 茅ヶ崎国語塾は個人の苦手なところを上手くカバーし、得意なところを確実に伸ばしてくれるところです。さらに入試本番が近くなっていくにつれ増していく得体の知れない膨大な不安も和らげてくれる塾だと思いました。

T.N(立命館アジア太平洋大学国際経営学部 AO合格)

 私は中学生の時に 快くない体験をして、学校に行けなくなりました。そのため、高校ではきちんと勉強して、大学に行きたいと思っていました。ですが、私の学力や性格を考えると、大手予備校などの集団授業に合わなかったので、個人塾や通信教育を探していました。    その時に茅ケ崎国語塾に出会いました。

 授業では、漢字テストや文章読解をくり返し、試験期間中は学校の古典の内容を復習してもらいました。授業中、田中先生の話が脇道に逸れ、古典に関係の無い話をすることもあり、勉強の堅苦しさが少なく、楽しい授業を受けられました。しかし、重要な勉強では、細かいことや足りないことなどを丁寧に教わることができ、毎回の授業で自分自身が成長していくことが目に見えてわかりました。
 最初、私は、何となく大学というものに行きたいと思っていました。しかし、入試方法や各大学の様子などを先生と話し合っていくことで、明確に志望大学が決まりました。また、それを達成するには今後どのようなことをしていくかなどを話しあうことで、学校より早く受験に関する活動を始めることができました。

 国語塾では入試対策として、小論文と面接の特訓をしてもらいました。小論文対策では週3回以上小論文を解き、添削して頂くことで、あらゆる文章に慣れていきました。加えて、知識、教養として必要な情報を先生にお聞きし、本や新聞などでそれらを得ていきました。

 実際の入試では、授業で取り組んだものと似たような課題が出題され、下調べした内容を生かすことができたため、スラスラと文章を書くことができました。

 面接対策として、毎回の授業で面接練習を行いました。授業後に改善点を教えてもらい、家に帰って考え直すことをくり返しました。このおかげで、私は面接本番では適度に緊張していたにもかかわらず、自分の言いたいことを明確に伝えることができました。
 その結果、無事に合格することができました。

 私が国語塾で学んだことは、単純な学力だけではなく、情報を積極的に得ることの大切さや、思考力を使い自分の言葉で表すこと、物事を冷静に読み取ることです。これらのことはこれからの人生において不可欠なものだと思います。このことを高校生の時に身につけられて本当に良かったです。

 ご指導してくださり、本当にありがとうございました。

M.Y(神戸大学医学部、昭和大学医学部(特待性)、慈恵医科大学医学部合格)

 私は、中学一年生の時から、茅ヶ崎国語塾の先生にお世話になっていました。
 私は、国立大学医学部を幼い頃から目指していて、理系科目が得意であるのは皆同じなので、国語で差をつけようと考えていました。理系の場合、センター試験対策の古文、漢文は1ヶ月あれば間に合うという人もいます。しかし、実際は、暗記系の文法だけでなく、多くの人が苦戦する現代文の読解の要素も必要です。私は、古文、漢文も読解を意識して取り組みました。
 よく、「国語はセンスだという人がいます。それが間違っているとは思いません。しかし、そのように言っている人の中で国語を英語や数学のように勉強したことがある人は少ないと思います。国語はすぐに成績があがりません。時間をかけなくてはならない教科なのです。
 そのような考えに至ることができたのは、理系であっても、国語を「教科として勉強することを教えてくださった先生のご指導のおかげだと思います。
 また、私は、センター国語の授業以外にも、学校の定期テストや医系小論文の対策、願書に書く活動報告書や自己評価書の書き方などの指導も受けていました。通塾する時間が無いときには、fax添削もしていただきました。
 その結果、学校の国語の成績は中高6年間5でしたし、医学部の受験まで時間がないなかで、願書を書くために割く時間を最小限にとどめることができました。
 茅ヶ崎国語塾は個人指導なので、私の性格やでき具合によって指導を変えて成績がくださり、最短の期間で伸びるように指導してくださいました。
 先生に出会えなければ、この合格はなかったかもしれません。
 田中先生、本当にお世話になりました。